| 2010年3月25日(Thu) 高校、大学、社会人と10年間、弓道をしてました。
その中で、常々言われ続けた言葉があります。
今でも、その言葉をいつも傍らに置いてます。
それは・・・。
『正しい射は中る(あたる)。
が、しかし、中った射が正しいとは限らない。』
要するに。
正しく射法八節(射法の理に則り)を実行すれば、的には中るんですよ。
けどね。
中てることが出来たその射は必ずしも正しいとは言えないのですよ。
と、いうことなんです。
確かに。
軸が歪み、乱れていても中るときは中るんです(笑
面白いくらいに。
必中の境地を掴んだと錯覚するくらいに。
実際、錯覚してた時期もありました。
後輩からは、中てるマシーンと言われるくらい・・・。
(今、思えば・・・、恥ずかしすぎで泣けてきます。)
そのときは。
心技体をみると、心は中りに乱れ、体は中りに歪み、射法は無きに等しく。
要するに的中てゲーム化です。
そういう状態になっていたんです。
今、思い返せば、ですよ。
そのときは解りませんでした。
残念ながら。
まったく。
私の未来には、さらに違った解が得られていると思いますが。
今はそう思います。
目の前の中りは欲しいです。
誰しも求めずにはいられないでしょう。
でも。
中りを得るのであれば、中りに執着せず。
身体よろしく、気力を充実させ、ひたすらに1つ1つの八節を完成させ流れを紡ぐのみ。
そうすれば、自ずと必中となる。
ハズ(笑
そう思ったのは最近だから・・・。
断言できませんが、そう思います。
必中無き射法は本物にあらず、必中であることは正しき射にあらず。
です。
エレガントにダイナミックにいきます!
Write:2010/03/25 16:38
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