| 2009年11月02日(Mon) 整体中にいろいろと会話を交わすよね。
その時に、様々なことを考えるというか、考えさせられるというか。
身体の使い方は多様で、同一動作を二人の人間に実行させても、異なる部位を使う事って十分にあり得るわけで。
その人間個人が、その時点までで培ってきた身体の所作によって支配されていると思うんだよね。
その動作をするのに、何が正しくて正しくなくて。
果たして判断して良いのか?
同一の動作をするときに、同様の筋肉を使う必要があるのか。
もちろん、同一の動作をするときに、同一の筋肉を使うこともあると思うんだけど。
でも、ダンスは総合的に使ってということになるわけだから、一色一点張りな使い方では説明が出来ないと思うのよね。
昔の人はよく言ってたけど、他人に足の裏(靴の裏)を見せるな、と。
芸人、個々に足使いの秘策があって、それが裏側に現れるんだよね。
それは、各人、使い方が全く違うって事。
『同一の使い方でない』事に意味はなく、『同一である』ことを有り難がる必要もなく。
問題は、唯一無二であるかという事。
自分の体内で編み出された物であるかどうかという事に尽きると思う。
ただ、そこに行くために一つの指針としての同一性を模倣する作業はアリなのかなと思う今日この頃。
Write:2009/11/02 14:53
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